2019.10.4[金] ー 11.24[日]

金・土・日・祝のみ開廊

 

池ノ内篤人、タイトル不明(サイパン島)、 1941年 

移動すること、移動できないこと、移動させられることについて考える展覧会。人間の速度について思考する試み。

11月23日(土)日没に曽根裕「ハローバット」上映後、パフォーマンスイベントがあります。

出演:aokid、大和田俊、村上裕(特別出演)

展覧会概要

展覧会名:  STAYTUNE/D

開催日時:  2019年10月4日(金)- 11月24日(日)

       11:00 - 18:00 (※金土日祝のみ開廊)

参加作家:  aokid / 池ノ内篤人 / 大和田俊 / 里見宗次 / 曽根裕 / 八幡亜樹

キュレーター:長谷川新(インディペンデントキュレーター)

​主催:    ギャラリー無量

助成:    公益財団法人アイスタイル芸術スポーツ振興財団

協力:    金沢21世紀美術館、京都工芸繊維大学 美術工芸資料館、芸宿

カタログ概要

価格:3,000円(外税)

​カラーページを56ページに、モノクロページを64ページに増量!合計120ページに。

購入はこちらから

muryow@gallery-muryow.com

タイトルに「STAYTUNE/Dカタログ購入希望」と入れ、本文に希望冊数と住所を書いてください。

掲載内容

■展示作品記録(カラー)
■池ノ内篤人戦前作品アーカイブ(カラー)
■aokidヒッチハイク

​■搬入、パフォーマンス風景

■大和田俊参考図版

■論集

・長谷川新「STAYTUNE/D」(日)

・佐原しおり(埼玉県立近代美術館学芸員)「池ノ内篤人のサイパン渡航について」(日・英 / 翻訳:長谷川祐輔)

・熊倉一紗(大阪成蹊大学芸術学部准教授)「移動するグラフィック・デザイナー――1940年前後の日本とタイにおける里見宗次――」(日・タイ / 翻訳:福冨渉)

・​黒嵜想「用途なき聴覚、輪郭なき耳」(日・英 / 翻訳:大和田俊)

・水口博幸「非情のジャングル フィリピン戦線生き残り元日本兵」より、「パン搬入作戦」抄録(日)

【出品作家略歴】


aokid
1988年生まれ。中学3年生の頃よりビタミンすぅ〜MATCHのCMを見てブレイクダンスを始める。また映画WATER BOYSに刺激を受ける。
都内の高校に通い3年生の文化祭で男のシンクロを仲間と0から制作し発表する。後のアーティスト活動にその際の片鱗が見えるようになっていく。
東京造形大学映画専攻に入学。2008年にはブレイクダンスの世界大会に出場するもそこから離れ、パフォーマンスやコンテンポラリーダンス、ドローイングやイベントの企画などの活動を始めていく。
卒業後はダンスカンパニーなどに参加し海外ツアーなども経験するが、いよいよ2012年より独自のプロジェクト"Aokid city"をスタート。架空の街を作るをコンセプトに、ダンス、音楽、ゲーム、美術、食、遊びなど様々なアプローチを含んだ活動を目論む。
その後、様々な出会いに刺激を受け2016年にパフォーマンスアーティスト橋本匠との劇場向け共同制作作品"フリフリ"が横浜ダンスコレクションコンペティション1で審査員賞を受賞。
2016年1月に個展『僕は"偶然のダンス"の上映される街に住んでいる。』を銀座ggで行う。
またこの年の3月より不定期に代々木公園などで様々な分野の作家たちを集め行うゲリラパフォーマンスイベント"どうぶつえん"を企画し続け10回を数える。
ダンスの発表や、ワークショップ、プレゼンなどのトークイベント、あるいはインスタレーションやドローイングなどの展示を行うなど、様々な方法を使い行き来する中で実践と学びを積み重ねる。
これからの目標はより新しい人と出会うべく作品の発表に限らず、活動や生活の継続、行ったことのない場所に出向くなどして、未知との遭遇に自分を変化させられたり向こう側に刺激を与えたりしながら、世界中で起こりうる戦争などを少しでも回避していけるような遠巻きながら草の根的な小さなアクションを作っていきたい。
限りなく自分であることと、自分でなくなることを出来るだけ行き来する勇気と忍耐を持って冷静と情熱の間でポジティブなステップを踏み続ける気持ち。

 


池ノ内篤人 Atsuhito Ikenouchi

1910年生まれ。1930年から太平洋美術研究所、一九三〇年協会研究所、独立美術研究所で学ぶ。1933年、今井滋、内藤外次、中野政行とNINIを結成。同グループは日本でシュルレアリスムを標榜した最初期の団体のひとつ。1934年、独立美術協会を脱退し、新造形美術協会を結成。1941年初夏にサイパン島、テニアン島に滞在するも、8月に帰国。戦後は無所属で制作を続け、地元の神戸で絵画教室を主宰した。1989年没。
主な展覧会に「日本のシュールレアリスム 1925〜1945」(名古屋市美術館、愛知、1990年)、「日本の抽象絵画−1910−1945−」(板橋区立美術館、東京ほか、1992年)、「時代に生き、時代を超える 板橋区立美術館コレクションの日本近代洋画1920s−1950s」(群馬県立館林美術館、2018年)など。

 

 


大和田俊 Shun Owada
1985年栃木県旧栗山村に生まれる。

現在、インド、バンガロールを拠点に活動を行う。

 

2日前はタミルナードゥ州近くの、ポンディシェリー連邦直轄領の南部にあるアリカメドゥ遺跡にいた。アリカメドゥは今はただの川沿いの草むらで、18世紀にイエズス会によって建てられたらしいレンガの建物の廃墟がある。ここは紀元前1世紀から2世紀にかけて、ローマ帝国との交易を行ったポドゥケーという港市だったとされている。少し内陸にずれたところに今はアリヤンクッパムという街がある。さっきそのあたり出身の人に聞いたところ、クッパムというのは、villageという意味とのことだ(代わりにChibaは日本語でどういう意味なのかと聞かれた)。

 

0歳から1歳だったので旧栗山村の記憶はないが、そこは平家の落人がたてたという場所で、大きなダムがあり、建設過程で沈んだ部分もあるらしい。その後大田原市、旧南河内町、茨城県旧総和町を経て小山市に転居、50号沿いのHARD OFFで買ったジャンク機材で音楽制作を開始する。宮脇書店で購入したSTUDIO VOICE「ポストテクノ/エレクトロニカの新世紀」特集にSound Hack、SuperColliderなどの音楽ソフトウェアが紹介された箇所があって、それに触発されてコンピュータベースの音楽制作を始めた。このページは図版と説明の対応がバラバラなのだが、それが意図的なものか編集上のミスなのかはわからない。

主な展覧会に、「Malformed Objects」(山本現代、東京、2016) 「裏声で歌へ」(車屋美術館、栃木、2016)、「不純物と免疫」(Tokyo Arts and Space、東京、2017 / BARRAK 1、那覇、2018)「Ars Electronica 2018」 (リンツ、オーストリア、2018)、「Biennale WRO」(ヴロツワフ、ポーランド、2019)など。

 


里見宗次 Mounet Satomi

1904年(明治37年)11月2日、大阪府大阪市住吉区帝塚山に生まれる。里見家は実業家で、五人兄弟の末っ子(三男)であった。長兄の同級生には小出楢重がおり、小出は里見家にはよく出入りする関係であった。1911年、本来の学齢より1年早く天王寺師範附属小学校に入学。1914年、桜島噴火のポスターコンクールに応募し、金賞を受賞した。1917年、府立今宮中学校に入学、飛び級で1年早く卒業。東京美術学校を受験する準備を行っていたが、フランスから帰国したばかりの小出楢重に刺激され、1922年(大正11年)にパリに渡る。おりしも花開いたエコール・ド・パリ全盛期をパリで過ごすことになる。

アカデミー・ジュリアンで勉強した後に、パリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)本科を受験。定員7名中6番で合格した。里見は、パリ国立美術学校本科に入学した初の日本人である。1923年から1926年まで油絵を学ぶ。ボザールでは、1924年と1925年にデッサンで第一席を受賞。1924年には、フォア・ド・パリのポスターコンクールに入賞した。また、1926年には春・秋のサロンに入選している。なお、在学中にやはり留学中であったルーマニア人、マリワラ(ラスジャ・マリワラ・ラスジャノ)と知り合い、1925年に結婚する。1927年2月父が他界したことから、生計の道を断たれ、商業美術家に転じることを決意。グラフィックデザイナー「ムネ・サトミ」として、そのままパリで活躍することになる。ショパン広告会社に勤務後、フレガット社にアトリエ課長として迎えられる。1928年、ゴロワーズたばこのポスターコンクールで一等賞を受賞し、注目を集める。1932年、フォア・ド・パリのポスターコンクールで一等賞を受賞。1933年、「6日間自転車競争」ポスターコンクールで一等賞を受賞し、これを契機として独立する。カッサンドルのポスター "NORD EXPRESS" に衝撃を受けたという里見は、これらポスターでグランプリを受賞したことから、当時の一流ポスター作家達と親交を深め、特にカッサンドルの技法に影響を受ける。この時期の里見の作品は、アール・デコを体現するもので、KLMオランダ航空のポスター(1934年)などが知られる。
1934年、東京で雑誌「広告界」が主催した「国際商業美術交歓展」にポスターを出品。里見のポスターが日本で公開されるのは、これが初めてのことであった。1935年、パリで初の日本ポスター展「日本広告美術展」を開催。1936年、初めて帰国。滞在中に、鉄道省、日本郵船、御木本真珠店からポスター制作を受注する。1937年、パリ万国博覧会広告館に出展。鉄道省のポスター『JAPAN』で名誉賞と金杯を受賞する。1938年、在留日本美術家協会の結成にあたり、事務局を引き受け、同年12月および翌年7月の在仏日本人美術家展開催に尽力する。1939年、第二次世界大戦が始まったことからパリを離れる。
1940年1月に帰国。同年3月、ニューヨーク万国博覧会日本館のデコレーションを担当することになり、単身渡米。このニューヨーク滞在中に、アルコのポスターを制作した。帰国後、杉浦非水に請われて多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)図案科教授に就任するも、翌1941年にはフランス語の実力を買われ、外務省嘱託としてサイゴンに渡る。その後、1943年に日泰文化協会会員としてバンコクへ派遣される。家族をバンコクに呼び寄せ定住し、「義」部隊の宣伝部長を勤める一方で、日本文化会館主催の美術展やコンクールを開催する。
1945年、同地で終戦を迎えると、バンバートンの強制収容所へ送られる。今までのポスター作品も、その際に没収され失われた。1946年には解放されるが、引き続きタイにとどまり、パリでの学生時代からの旧知であったピブーンソンクラームから、タイ国劇場の舞台装置家の職を斡旋される。その後、シャム航空(現:タイ国際航空)などの広告デザインを手がける。1948年には、タイ美術学校顧問に就任する。1951年にはパスポートの発給を受け、タイを離れ、翌年再びパリに戻る。1953年、旧友の藤田嗣治の勧めで、カンパーニュ・プルミエール街の、藤田が住む隣のアパートへ転居し、以後この場所に住む。1954年には健康食品展(SALON DE LA SANTÉ)、1958年には政府広報「パンを食べよ」(MANGEZ DU PAIN VOUS VIVREZ BIEN)のポスターをそれぞれ発表。1964年以降、国際食品展(SIAL、隔年開催)のポスター制作を第14回まで担当。他にも数多くのポスターを手がける。1974年、勲三等瑞宝章を授与される。デザイナーとしての活動は衰えることなく、2万点を超える作品を残した。1989年に日本に帰国。1996年1月30日、奈良県大和郡山市の病院で心不全のため死去、享年91。

【Wikipedia-里見宗次 より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E5%AE%97%E6%AC%A1 】
 

 


曽根裕 Yutaka Sone
1965年静岡生まれ。メキシコ、中国、アントワープにスタジオをおきそれらを移動しながら作品つくり発表していたらまあまあていどの時間が経過して 作品もいろんなところにできあがっていたらしい。 ことしは11月にメキシコシティで個展をやりそのあと友達の芸術家と、スペインがメキシコに侵略したルートを逆さまにたどるキャラバン風のプロジェクトにいきそのたびをユカタン半島のギャラリーで発表する。しかし10月はアロメン・エロヤンとコラボレーションをチューリヒでするのできっと予定はどんどんずれて、めちゃくちゃになってしまうかもしれないし、全部すーっとできるかもしれない。
ジャングルのなかでよるがやってくる。そこら中の虫たちが一斉に音を立てて、聞くことができないほどの音。わたしも音をだした。日が完全にくれると少し音がゆるやかになって、わたしもなにをしなければならないのかがわかる。


近年の個展は以下(抜粋)。

2017
Yutaka Sone: Travel 1987-1988, Museum of Contemporary Art Antwerp (M HKA), Antwerp
Michoacán Report II, Tommy Simoens Gallery, Antwerp
Obsidian, Sifang Art Museum, Nanjing

2016       
Day and Night, David Zwirner, New York
Michoacán Report I, Tommy Simoens Gallery, Antwerp

近年のグループ展は以下(抜粋)。

2019
Tokyo Independent, 陳列館,東京

2018
Grand Reverse: The Odious Smell of Truth, Tommy Simoens Gallery, Antwerp
Paradise Is Now: Palm Trees in Art, Salon Dahlmann, Berlin
Sanguine: Luc Tuymans on Baroque, Fondazione Prada, Milan

2016
Built, World, SCAD Museum of Art, Savannah College of Art and Design, Georgia
Room Services, Printed Matter New York Art Book Fair, MoMA PS1, Long Island City, New York [collaboration with Mandy El-Sayegh and Oscar Murillo]

2015
Let Us Celebrate While Youth Lingers and Ideas Flow, The Renaissance Society at the University of Chicago

 

 


八幡亜樹 Aki Yahata
1985年、東京生まれ、北海道育ち。東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻修了。 映像インスタレーションをあらゆる「生きること」のための思考装置と捉え、取材をベースとした制作を行っている。地理的・社会的・精神的な「辺境」のことを想っている。主な展覧会に、『逡巡のための風景』(京都芸術センター, 2019)、『楽園創造(パラダイス)―芸術と日常の新地平― vol.7 八幡亜樹』(gallery αM, 東京, 2014)、「六本木クロッシング 2010展: 芸術は可能か? 」(森美術館, 東京)、『REFLECTION』(水戸芸術館, 茨城, 2010)など。

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